鍾馗様と三毛入野命

2021年12月11日 13:25

鍾馗様(しょうきさま)三毛入野命(みけいりぬのみこと)もしくは(みけぬのみこと)
二上神社御本殿の左側妻壁に鍾馗様の彫刻があります。郡内には数社この鍾馗像を飾った社があり、一番有名なのは高千穂神社の彫刻です。ところが高千穂神社では三毛入野命(神武天皇の兄)が鬼八と言う鬼を退治している姿と言い伝えられていて、鍾馗様を知っている人なら疑問を抱くかもしれません。双方とも悪い鬼を退治して里人を救った英雄として伝えられているので、鍾馗様を三毛入野命に見立てているのだと思われます。彫られた当時は三毛入野命の姿がはっきり分からず、丁度その時現在の中国から伝わった鍾馗様が将に三毛入野命と合致したのではないかと思われます。ですから高千穂神社では見た目は鍾馗様なのに三毛入野命として伝えられています。では二上神社はどうなのか、私は鍾馗様で良いのだと思います。何故なら二上神社は凡そ200年前に火災で消失しており、再建時にはもう二度と災いが降り掛からぬよう魔除け、火除けの神である鍾馗様を社殿に飾ったのだと思うからです。
ところが先日町のガイドの方が参拝者に二上神社の鍾馗像を三毛入野命として案内している事を知りました。少し衝撃を受けたので今回のブログで紹介したいと思い立ちました。そもそも郡内の彫刻は形態こそ違え明らかに鍾馗様にしか見えませんし高千穂神社のそれも将にそうです。しかしこの地方には鬼八伝説と言う鬼退治の伝承がありその主人公が三毛入野命なのです。鍾馗様はあくまでモデルであって実は三毛入野命として全てが彫られたのでしょうか?二上神社の彫刻をずっと鍾馗様だと説明してきた私ですが、真実はどうなのか疑念は深まるばかりです。でも逆の説もあるのではないか!鍾馗様信仰を今は知らない人が多数を占めていますが、江戸時代は広く全国的に知られていました。だとすると建物に鍾馗像を飾ることが始まりで、神社にも飾られるようになったのではないか?それは火災などから社殿を守るためであり、特に消失の経験がある神社では切実な問題であったと思われます。高千穂神社も250年ほど前に火災で消失した経験があり火の災いには神経質になっていたでしょう。その不安を取り除くために鍾馗像を掲げたのではないかと思うのです。その後この地方に伝わる鬼八伝説がなぞられて鬼退治をした三毛入野命として伝えられるようになったのではないか、、、
真実は如何に、どちらにせよ御社殿の守り神には違いありません。厳めしい姿で常に神社を守ってくださる鍾馗様と三毛入野命に感謝!!

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