二上神社にまつわる言い伝えや様々な面白い話などをご紹介します。

御神木の大銀杏

二上神社の御祭神伊弉諾尊、伊弉冉尊は夫婦の神様で子作りに励みました。オオヤシマ(日本列島)から始まり沢山の神々を御産みになられたのです。そして不思議な事にこの大銀杏には男女の印が現れております。夫婦和合、子孫繁栄の御神徳が有るとも言われております。

 もう一つ云われがありまして、その昔杖をついた老人がお参りに来たそうです。長い階段をゆっくり杖をつきながら登り切り拝殿の前で柏手を打って拝礼したそうです。すると突然体が軽くなり、杖がなくても歩けるようになったそうです。境内の片隅に杖を立て掛け暫く散策した後意気揚々とその老人は帰って行ったそうです。そうです老人はあまりにも嬉しくて杖を忘れて帰ったのです。それから月日は流れ忘れられた杖は地面に根を張り枝葉が出て現在の大銀杏になったそうです。

 まるでおとぎ話のようですが、実は本当に起こりうる出来事なのです。何故なら私が実体験したからなのです。正にこの大銀杏の実を私の父が畑に撒いていたのですがあまりにも沢山の実を密集して撒いたものですから10年程で木と木が競り合い窮屈になりました。仕方なく間引く事になったのですが、10年もの間放置された畑のイチョウは引き抜く事は出来ませんでした。根元から切って間引く事になったのです。勿体無いですが仕方ありません。切ったイチョウは大人の腕の太さになっていました。長さ2メートル程の丸太で何かに利用出来るかも知れないと思い車庫に立て掛けて置いたのです。それからどれ位の月日が経つたか分かりませんが春が来て山の木々が芽吹く頃なんと車庫に立て掛けて置いたイチョウの丸太から新芽が出たのです。勿論車庫はコンクリートの床で大雨が降っても床が濡れる事は無いのです。全く水気のない車庫で半年位放置されたイチョウから新芽が出たのです。その生命力に唯々驚かされました。
 境内の大銀杏も生命力の強い神秘的なイチョウです不思議な力を与えて下さるかも知れません。

鶺鴒岩

鶺鴒(セキレイ)と言うのはスズメよりやや大きくて尻尾の長い鳥です。水辺の近くの崖などに巣を作り、道端などにも生息するごく身近な野鳥です。岩の上や道端に止まっているときは常に尻尾を上下に動かす動作をします。

 その昔、伊弉諾、伊弉冉の尊は夫婦となり子供を作る事になりました。しかし創始二人の神には親が居ませんつまり男女の営みを知らなかったのです。どうしたものかと悩んでいたところに二羽の鶺鴒が飛んで来ましたそして岩の上に止まった鶺鴒は腰を上下に動かし子作りの方法を教えたと言います。そこから二神の国生みが始まったと言われています。古事記日本書紀には載っていないもう一つの国生み神話です。

 二上山の山中には鶺鴒岩という岩があるそうです。実は私も村の人もその場所を知りません今はその伝承だけが残っています。

神社の位置関係

神社の鎮座地は特別な意味があるとも言われています。大昔は占いなどで場所の選定が行われたとか言われておりますが、ここ二上神社も面白い事が判明しました。
 二上山は男岳女岳二つの山が御神体としてそびえております。その山頂を結ぶ線は南西(男岳)から北東(女岳)にかけて伸びています。実は二上神社の御社殿はその線上に有るのです。しかもそのまま北東の方角を向いています。更にその線上には摂社の乳ヶ岩屋が有り遥か先には高千穂神社、そして天岩戸神社が有ります。反対側には南西の方角に五ヶ瀬町の中登神社が有り更にその先に鞍岡の祇園山が有ります。
偶然なのかはたまた意図的に作られたのか分かりませんが何かしらの意味があってその場所にお宮が作られたのだと思っています。
気の流れとか言われますが、神社間には人間には分からない不思議な気の流れが有り繋がっているのかも知れません。
 
 摂社の乳ヶ岩屋はお乳の出ないお母さんが岩清水を飲んだところたちまちお乳が出るようになったのでその名が付いたと言われていますが、もう一つ鬼八のすみかだったとも言われています。鬼八はこの里を荒らした悪い鬼として退治されましたが、その鬼八を退治したのが高千穂神社の御祭神の一神ミケヌノミコトです。まるで再び鬼八が現れないように乳ヶ岩屋を挟み込むように二上神社と高千穂神社で結界を張っているようにも見えます。

神社の不思議な位置関係のお話でした。今はインターネットで地上の画像を見る事が出来ます神社の場所を探して見てはいかがでしょうか。

階段のお話

神社に参拝する時長い参道や階段が大変だと思った事はありませんか。車で近くまで行けたら良いのにと思った事がありませんか。二上神社も今は車で境内迄行く事が出来ます。最近は簡単にお参りが出来て便利な時代です。昔車も道路も無かった時代人々は歩いて参拝していました。それでも最後は長い階段を登らなくては拝殿迄行く事が出来ませんでした。何故階段があるのだろう。よく考えたら不思議です。二上神社の階段は200段余りあって150段程登った所に社務所があり踊場になっています。残り50段程で社務所からだとそれ程苦にならない段数です。大昔と言えども社務所迄道を作ることは可能です。何故こんなに長い階段を作ったのでしょうか、しかも重たい石を積み上げて。
神社は鳥居を潜った瞬間から参拝が始まっています。既に参拝者は大前に立っているのです。その場所で拝礼して帰っても構わないでしょうが、それでは参拝者は気がおさまらないでしょう。より近くで拝礼をされたいはずです。しかしそこには長く急な階段があり行く手を阻みます。この長い急な階段を登った者には神様も何かしらのご加護を与えて下さるに違いありません。

 階段の長さには大神様の偉大さ尊さそして御神徳の大きさが込められていると思います。更にその階段を作った人々の苦労と思いも込められているでしょう。階段を登る事は大変ですが俗世界からの離脱、正に禊(ミソギ)の意味もあるのかも知れません。少しずつ心身を清めて行く作業です。神が偉大であればある程その長さは長くなるでしょう。
二上神社は山が御神体です。山岳信仰の神社でもあります。元々山頂に修験者が登り祈りを捧げていました。今は3合目付近に社殿が建てられ参拝が出来ます。それが現在の二上神社です。

杉(スギ)の木のお話

杉の名前には諸説ありますが、真っ直ぐに伸びる木と言うところから(マッスグキ)(スグキ)(スギ)になったとも言われています。真っ直ぐに伸びて高く大きく成長する杉の木は神が降臨する目印として又依代として神社の境内に植えられるようになったとも言われています。もう一つ神社の境内に杉が植えられている理由が社殿の御用材の為とも言われています。元々御用材として植えられた杉が数百年経つと御神木と呼ばれるようになって中々切れなくなってしまった神社も多いのでは。

境内には沢山の杉の木があり、その中にひときわ大きい杉が十数本あります。通称地杉(ジスギ)と呼ばれるもので日本古来の杉の種類です。実は杉の品種は一種類しかないと言われています。では何故いろんな名前の杉があるのでしょうか。
元々自生していた杉は地杉ですが非常に成長が遅くよく見ると真っ直ぐでは無いのです。素人が見ると真っ直ぐに見えますが、実は微妙に曲がっています。数百年経つとその曲は殆ど分からなくなりますが、そんなに待って入られません。そこで江戸時代の人々は品種改良を始めたのです。方法はいたって簡単で成長の早い物を選りすぐるやり方です。杉は枝を地面に挿しておけば根が出て成長します。その苗木から成長の早い物を選んで更に成長の早い物を選んでいくのです。他にも真っ直ぐに伸びる物、必要の無い枝が細い物、などなど色んな条件を満たし苗木を選りすぐり何十年もかけて安定した性質が確立された時品種として認定されるのです。有名なところでは吉野杉や日田杉、飫肥杉などがあります。全国に植林されている杉の殆どがこうして改良された杉です。只これらの杉は全て枝から成長した杉です、つまりクローンなのです。クローンは気候変動に弱いと言われていて地杉の様に千年位生きるのか分かっていません。
実は境内の地杉もクローンです。只これらの木は本来持っている杉の性質を受け継いでいます。たくましい枝、何処までも這って行く根、真冬でも青々とした葉を茂らせ風雪に耐えています。地杉の姿は見る者を圧巻し元気を与えてくれます。

二上神社の階段の両脇には吉野杉が植えられています。地杉との違いを見比べて見てはいかがでしょうか。

社殿の彫刻

二上神社の社殿には沢山の彫刻があります。その中でも一番面白い彫刻が本殿向かって右側の上部にある彫刻です。御祭神の伊奘諾、伊弉冉の尊の彫刻ですが、手前に鳥がいます。伊奘諾、伊弉冉の尊は天神七代の最後に現れ『国産み』をなされる神様ですが、先づ天の浮橋に立って天のヌ鉾を海中に差しかき混ぜて持ち上げたところ鉾先より垂れた潮が固まって出来たのがオノコロ島です。今度はその島に天の浮橋を渡って降りて行き、『国産み』が始まるのです。彫刻は天の浮橋を渡って降りていく様子を描いたものですが、当初は手前の鳥の彫刻は無かったのだと思われます。お二人の姿を彫り終わった時にはたと気づいたのでしょう。尊い神様のお顔を直接見てしまっては恐れ多いと、それで後から鳥の彫刻が付けられたのだと思われます。
見えそうで見えない絶妙な位置に鳥の羽根があり面白い彫刻となっています。

結界のお話

鳥居、狛犬、祠などがありますがそれらは結界の意味合いがあります。鳥居は一番わかりやすい結界の一つで俗世界と聖地を区別するもので、これから先は神聖な場所である印です。それが結界でもあるのです。
狛犬や石の祠が対で参道沿いにあるのも結界を意味します。少しずつその結界を通って行くことで身も心も清められて行くのです。二上神社の狛犬は階段を上りきった所に有ります。実は以前向かい合っていたそうですが、昭和三十年代の大造営の時前向きに変えららたそうです。意図的になのか謝ってなのかは分かりませんが先先代が何かしらの思いがあってそうしたのでしょう。最近あちこちの神社を参拝して気になったのが、向かい合っている狛犬なのに何故か顔だけ前を向いていることです。結構古い物もあるのでしょうけど、最近の新しい狛犬はその傾向が強いです。
遥か遠くを見つめる狛犬が、如何にも現代的な狛犬の走りにも見えます。

昭和の大造営

この写真は昭和20年代だと思われます。昭和30年代に行われた大造営は拝殿、社務所、階段など大規模な新築改修工事が行われました。写真をよく見ると御本殿の下の石垣がありません、実は画面左側の拝殿は現在の稲荷社です。この建物を移動して新しい拝殿が作られたのです。その時問題が起きたのです、新しい拝殿の設計図では御本殿と同じ高さになってしまうのです。そこで御本殿を持ち上げ下に石垣を作り新しい拝殿とのバランスを図ったのです。因みに御本殿前の石灯篭にご注目ください、この石灯篭は全く動いていません。御本殿を持ち上げる時になんと後ろにも移動させていたのです。現在の写真と見比べて見るとよく分かります。
一大事業が行われる前の貴重な写真です。

乳ヶ岩屋(ちちがいわや)

二上神社より北東に約1キロメートル位の所にある聖地で、高千穂郷八十八社にも名を連ねる重要な宮地です。社殿鳥居等は無く大きな岩屋が有ります。名の由来はその昔お乳の出ない母親がこの岩屋の岩清水を飲んだところお乳が出るようになったところから乳ヶ岩屋と呼ばれるようになったそうです。
二上神社のお膝元にある集落『小谷内』から隣の集落『三原尾野』へ続く乳ヶ岩屋林道の途中に大きな岩壁が見えて来ます。そこから山を100メートル程登ると乳ヶ岩屋に辿りつけます。ただ、その山道は未舗装で急な坂なのでサンダル履きでは登れません。
乳ヶ岩屋は垂直に切り立った大きな岩屋で地面の境が洞窟になっています。人1人がやっと通れる位の洞窟が斜め下に続いていますが、未だ未踏の洞窟で過去には数メートル入った者が居たそうですが途中から真下に穴が続いているので諦めたそうです。
乳ヶ岩屋は古い伝えに高千穂郷を荒らした鬼八(霜宮鬼八荒神)の棲家だったとも言われています。まるで鬼でも出てきそうな神秘的な洞窟です。

小谷内(こだにうち)

二上神社のお膝元の村を小谷内(こだにうち)と申します。深い山あいの小さな集落です。
以前この村の名前は子種落(こだねおち)と呼ばれていたそうです。

『日向なる二上嶽のふもとにて乳ヶ岩屋に子種まします』

夜神楽で歌われる神楽歌の一首ですが、村の地名を物語る歌です。子種が落ちる(降臨する)意味で子種落と名付けられたそうです。伊弉諾、伊弉冉の尊二神が国生みを行う神話とも繋がる興味深い地名です。
二上神社は子宝の神でもあります。

二上稲荷神社

二上神社御社殿の左側に御鎮座していますお稲荷さんは元々は二上神社境内地脇の神塚山に居りました。ある時(拝み屋さん)と呼ばれる霊媒師が現れそのお稲荷さんの御魂を分けて神塚山の下で祀り祈祷を行なっていたそうです。ところがある日村人が近くで焚き火をしたところ煙に巻かれてお稲荷さんは二上山山中に逃げ込んでしまいました。それ以来拝み屋さんは去り、稲荷祭は行われなくなってしまいました。
今から35年ほど前二上山に林道が抜けました。お稲荷さんが祀られている近くに林道が出来た為当時の宮司、総代で協議し、お稲荷さんが荒らされてしまい兼ねないとして二上神社境内に連れて帰る事になりました。そうして境内階段下の空き地に稲荷神社を建設する事になったのです。氏子崇敬者の奉献を賜り稲荷神社が完成し御魂遷しを経て毎年旧暦初午に稲荷祭が行われてきました。
私は疑う事なくそのお祭りにご奉仕してまいりましたが、ある年の稲荷祭の準備の時御神像が黒く朽ち果てている事に気付きました。哀れな姿を見て落胆してしまいました。もはや此処に神(稲荷神)は居ない。
実は稲荷祭は当初村内外から多くの参拝者が訪れるお祭りでしたが、年々参拝者も減り行く中私は一つの疑念を抱くようになりました。
父、宮司も歳とともに視力が弱り足腰も弱り摂社のお稲荷さんは全て私だけでご奉仕するようになり数年が経ちました。私は意を決してお稲荷さんの遷宮を申し出たのです。場所は二上神社御本殿です。実は元々御本殿にもお稲荷さんが祀られているのです。御魂分けした分霊を元に戻す分けです。当時はそれが一番良いと思っておりました。それから数年は二上神社社殿にて初午祭を行なっていたのですが、そこはやはり二上神社です。伊奘諾、伊弉冊の神様です。どうもお稲荷さん祭りを行うことに違和感を感じる様になりました。果たして二上稲荷どうしたものか。
又新たに稲荷社を建てるのも難しいですし、場所も予算もありませんでした。何より氏子さんに申し訳が立ちませんでした。
私は実を言うと以前から旧拝殿が気になっていました。その建物は200年前に作られたもので、移築後は神楽殿と名を変え存在していたのですが其処で神楽が舞われた事は無く、お祭りの時着替え場でしかありませんでした。
此処をお稲荷さんにしたらどうだろうか?
そう漠然と思っていたところ不思議な事にある参拝者がお稲荷さんの話を始めました。その人の話によると、「ある知人がお稲荷さんが非常に居心地が悪く本殿から出たがっている、小さな祠でも良いから御本殿の大神様をと別けて欲しい。」又、それは境内左側に強く感じるとの事。そう話した参拝者は始めてお会いする方で二上神社の実情もお稲荷さんの事も何も話していないのです。更に御本殿内のお稲荷さんの御座は向かって左端です。なんとも不思議なお話です。物事は迷信に惑わされることのない様にしなければ失敗や間違いの元になります。再び過ちを犯さない様に用心しなければなりません。しかし私の中で心は決まっていました。
神楽殿(旧拝殿)を稲荷社にする。
ただ神楽殿は老朽化の為屋根のトタンが腐食し、御神像を納める場所も壁板がスカスカで、ある程度の修復が必要でした。ところが、まるで最初からわかっていたかの様に、屋外トイレの建設が決定したのでその工事と合わせて稲荷社修復も行う事で話がまとまり、全てが順調に事が進んで行ったのです。
正しき流れは労せずとも進んで行くものなのか。
斯くしてその参拝者が来て半年もせず初午祭が旧拝殿の新しいお稲荷社で斎行される事となったのです。
何度も遷宮を重ねてきた二上稲荷様此処が安住の地になって欲しいと願うばかりです。

注連縄

高千穂町の神社は全国的に珍しく色紙の紙垂が下がっています。神社によって多少違いがありますが緑、白、赤と三つの紙垂が下がっているのが二上神社の特徴です。緑色は昔は青と呼ばれていました。つまり緑は青なのです。
向かって右側が位が高く必ず右側に青が来ます。青は天を表し赤は地を表しています。他の神社には無いですが二上神社には真ん中に白の紙垂があります。これは人を表しているそうです。つまり色紙の紙垂は天地人を表現しているのです。さらにワラの下りをよく見ると、右から七本五本三本になっています。これも位の高い右から七五三と並ぶ決まりです。ワラ下りには諸説あるそうですが、ある説では神々の数を表しているとも言われています。天神七代地祇五代日向三代と天御中主尊から続く神々様が表わされています。
この注連縄は元々夜神楽の舞台神庭に張り巡らされている注連縄が起源と言われ、転じて御社殿にも張られる様になったそうです。
高千穂の神社を巡りその違いを見つけてみませんか。

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