二上神社宮司甲斐重寛(かいしげひろ)と申します。昭和44年生まれ現在51才です。幼少期、病床の祖父から「お前で113代目だ」と云われていましたが、墓石には10名の名前しかありません。100は長い歴史を意味しているのでしょう。実際は13代目だと思いますおそらく。家はこの地域ではそこそこの大きな農家で、基本は農業です。以前はお祭りの時だけ神社に上り神事を行い、それ以外の日はたまに掃除するくらいで何もしていませんでした。そして十数年前その大事なお祭りの5日前に屋根から落ちて背骨を折り入院し、お祭りに参列出来なくなりました。今思えば其れが運命の分かれ道だったのです。
20代後半に実家に戻り農業、建設業で汗水たらしながら年数回の神事には欠かさず努めてきましたが、大事なお祭りの前に気の緩みがあったのでしょう。当初は天罰が下ったと思っていましたが、死んでもおかしくない事故だったのに一か月半の入院で済みました。命が助かったのも半身不随にならなかったのも寧ろ奇跡に近いものがありました。
当時42才将に厄年に怪我をしたのです。回復後もしばらくは重労働が出来なかった私は取り敢えず神社に上り荒れ果てた境内の掃除を始めました。二上神社もよくある無人の神社で境内には祭後の残骸が当たり前のように放置されていたのです。今まで気にも留めなかった事に気づくようになっていました。なんとなく私を神社へ振り向かせるために起きた事故だったのではないかと思うようになって来た頃、思いもよらぬお話が飛び込んできたのです。当時の高千穂神社の祢宜さんからお手伝いをお願いされました。
実をいうと私は神社勤めは嫌いでした。白衣、袴を着て畏まった生活にどうも馴染めなかったのです。農作業や土木工事で汗水垂らしているほうが性に合ってると思っていたからです。仕方なく数日間のお手伝いということで引き受けたのはいいのですが、気づいたときは常勤の職員になっていました。
その時なんとなく思ったのは、好むか好まざるかではなくこれは宿命なのではないかという事です。
それから暫く高千穂神社と二上神社を兼務する生活が続きましたが、まだ二上神社はおまけ的な存在でした。そして40も過ぎて結婚もしない男だった私の前に現れたのが現在の妻で、更に娘も授かりました。その後妻は神職の資格を自ら取り私の片腕となってくれました。まだ機は熟していませんが意を決して私は二上神社に専念する事を決めました。あれから3年少しずづではありますが参拝者も増え世の中に二上神社の存在が知られるようになってきた気がします。
これからも多くの皆様にこの二上神社を知っていただく為頑張ります。

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